900ページを越える厚さが見た目にインパクト大である、飛鳥部勝則の『堕天使拷問刑』（早川書房　ハヤカワ文庫JA）。

　本作はもともと2008年に同社から単行本として発売されていた作品なのだが、その後版元品切れで重版もされないこともあって、ミステリーファンの中では手に入りにくい希少本として中古市場価格が高騰していたという。
　そんな中、本作の熱烈な読者だった芳林堂書店高田馬場店の店長から版元の早川書房に5,000部を買切条件で仕入れるから増刷を、という働きかけが2023年にあったことをきっかけに、ついに今年1月に文庫化がされた。
　その辺りの経緯、流れを語る早川書房や芳林堂書店のSNSを見ていて、「幻のミステリ」とまで豪語されているところと、作品タイトルに惹かれるものを感じて発売日に購入しておきながら、その厚さのこともあって、実際に読むまでに半年以上かかっているというのは、いかにも私らしいと自分自身でも呆れと共に思うのだが、ともあれ、そうしてようやく読んだ本作の裏表紙にある粗筋を、まずは紹介しよう。


　魔術崇拝者の祖父が密室で怪死した。中学生の如月タクマはさらに、ある一族の女たちが祖父の召喚した悪魔により斬首されていたという噂を知る。やがてタクマは転校先で 「おまえツキモノイリだろ」 と謎の罵倒を浴びせられる。タクマは 「月へ行きたい」 とつぶやく少女。江留美麗に不思議と心慰められるが、斬首事件が再び……純愛と推理が融合するボーイミーツガール・ミステリ。


　要は、いわゆる「因習村」ジャンルの作品ということが、お分かりいただけると思う。
　独特の習慣が昔から残っており、排他的で、表面に現れていないところでドロドロとしたものが拭いされない程に染み付いている山奥の小さな町/村で起きる奇怪で陰惨な事件。
　シチュエーションとしては横溝正史の作品を連想させるところであるが、読み心地としてそこまで共通点を覚えないのは、本作が横溝と違ってそこまでガチガチの本格ミステリー仕立てにはなっていないというところによるのだろう。
　むしろ本作は、中学生を主人公にして、恋愛の絡む青春ミステリーの要素を前面に出しているので、内容的にはかなりエグいところがあるものの、読んでいる感覚としてはそこは強調されず、むしろどこかしら哀切に似た空気感が漂っているように感じながら読み進めることとなった。

　密室トリックの真実とか謎解きものとしての本作がどうなのかという点については、ミステリーであってもそういう読み方をしていない私には評価のできないところではあるが、少なくとも、上記の空気感、作品がまとっている雰囲気に浸って楽しめるという点では、本作はなかなかの高クオリティーだと言っていいのではないだろうか。
　とはいえ、それがいわゆる「雰囲気モノ」で終始してしまってストーリーが疎かになってしまってはいただけない。また、分厚いだけで内容の薄い作品になってしまっているのも論外だ。

　その辺り、本作はどうなっているのだろうか。

　まず本作を読みだして最初の辺りで感じるのは、閉鎖的で独特のルールに支配された狭い世界の歪さと、そのルールをかき乱す者への異常にも思える攻撃性の強烈なインパクトだ。
　主人公は突然の事故で両親を亡くし、この地の有力者である母の実家の一族に養子として引き取られるわけだが、土地の有力者ならば悠々とした生活を送れるのではないかと思われるところ、地域に君臨していた祖父は密室で怪死を遂げていて、その祖父と対立していた一家から、如月の一族は悪魔に呪われた一族で、主人公のタクマにも悪魔が憑いているという謂れなき誹謗と攻撃を受けることになる。
　この、外部からやってきた異物への排斥行動というのは、程度の違いはあれども現実世界のあちこちで普通に起きていることだ。本作ではそういう一面をフィクションの中で過度に強調しているが、「因習村」というジャンルはそういうものだから、これはある意味、常套的な作劇と言えるだろう。

　文化的な摩擦、都会へのコンプレックス、そういったことが蠢いて何かのきっかけで噴出する。そして、それが暴力的で破壊的で破滅的な状況を作り出していく。この時、人の命の尊さ、重要性といったものはまるで意味を持たず、むしろ重視されるのはその状況を、地域を支配する者の意向であり、そして綿々と受け継がれてきたその地域のルールだ。その前では、人の命など紙屑のようなものになる。
　本作の場合は、もともとの「地域のルール」が人命を非常に軽視しているものだから、余計にその傾向が強い。

　大正～昭和の時代設定である横溝正史の金田一耕助であれば、まだそういう「因習」が残っていることもあり得たかというところ、さすがにここまでのものは現実世界には無いだろうと、現実味が薄いという批判はあるかもしれない。

　ただ、これはそういうところでリアリティーを追求した作品では無いのではないか。
　どちらかというと、現実にはあり得ないような「因習」に囚われた隔地で、純粋にあらんとした少年少女の物語を描くところに主眼があったのではないか、というのは勝手な思い込みかもしれないが、少なくとも私にとっては本作はそういう作品だった。
　これが、暴力面に舵を思い切り切れば中西鼎の『さようなら、私たちに優しくなかった、すべての人々』（小学館　ガガガ文庫）のような作品になるのだろうが（思えば、あれも純粋な少年少女のボーイ・ミーツ・ガールな話だった）、本作はそこまで振り切っていない。それが中途半端だとも評せるのだろうが、そこは好みの問題と言ってしまっていいように思う。

　『堕天使拷問刑』という作品は、徹底してピュアで、ボーイミーツガールな小説だった。
　なる程、こういう読み味だから、絶版だった時期にもミステリーファンから熱く支持されていた、というわけか。